MANABLOG

会社を退職して独立への道を進んでいる25歳。趣味は合唱と指揮と20世紀前後のオペラ歌手鑑賞。

再確認しました。音楽は再現の芸術ではなく、創造の芸術です。

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ここのところずーっと考えていたことがあります。

それは、音楽とは再現の芸術なのか、創造の芸術なのか、ということです。

 

いきなりこんなこと言われても、イミワカンネーってなりますよね^^;

 

両者の違いを簡単に説明します。 

 

再現の芸術というのは、楽譜至上主義のようなもの。

楽譜に忠実に、楽譜に書いてないことはやらないというような音楽のことです。

 

創造の芸術とは、美術のように、新たな何かを生み出すもの。

音楽を作る者、演奏する者、聴く者。

演奏にかかわるすべての人間が想像する音楽を指しています。

 

で、答えが出ました。

 

音楽は、やっぱり創造の芸術です。

 

問題定義の発露

なぜこんなことを考え出したのかと言うと、ことの発端はこの記事でした。

 

asa221b.hatenablog.com

 主にFacebookを中心に拡散されたこの記事は、
いろいろな人の心に波紋を生み出したようです。

 

で、その波紋の中に、
この記事の考え方は「アマチュアリズム」であるという意見がありました。

 

要するに、「ここは歌詞がこうなっているから、少し膨らませて~」みたいな演奏は、
実にアマチュアのやることで、プロのやることじゃない、という。

 

そこで疑問に思ったんですね。

確かに、ぼくがアマチュアであることはまぎれもない事実です。

が、では、もっと音楽的に濃い演奏をしてほしいと考えることがアマチュアであるならば、プロの音楽ってなんなんだ? と。

 

東京混声みたいな、(音楽的に薄い)演奏がプロなのか? と。

 

そもそも、音楽ってなんなんだ? と。

 

ということで、悩みに悩み、
音楽は創造の芸術である、という結論が出たのです。

 

創造的な音楽って?

指揮者を始め、演奏者、伴奏者、お客さんまでもが、自ら率先して考え、感じる音楽のことです。

 

なんだか抽象的なので、もっと具体的にいいかえると、

作曲家は、自分のいろんな思いを込めて、楽譜という形で音楽を創造します。

 

指揮者は、そうして出来上がった楽譜を、分析・検証・イメージすることで、自分の中に理想とする音楽を作り出します。

 

演奏者は、指揮者の指示を受けつつも、自ら率先して音楽的な動き、表現をすることで、音楽を作り出し、

 

聴き手は、作曲家・指揮者・演奏者の意思を感じながら、自分の心の中に音楽を作り出していく。

 

要するに、会場にいる全員の心の中に何かを生み出せる、
というのがぼくの考える創造の音楽です。

 

 

「演奏側はわかるけど、お客さんもなの?」

と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

そして、その答えはYESです。

演奏者とお客さんが一緒になって音楽の世界に浸ること、
これによって初めて、一つの音楽が完成するのです。

 

音楽に興味のあるお客さんも、たまたま会場に居合わせたお客さんも。

 

ですから、演奏者には、お客さんを惹きつけられるような、
エネルギーのある演奏が求められるのです。

  

「音楽は楽譜に忠実であるべき、楽譜に書いてないことはやるべきでない」と考える人

こういう人たちの音楽は、総じてつまらないんじゃないかな、と感じます。

 

要は、作曲家の書いたことを忠実に守って、そこからはみ出ないように恐る恐る音楽を作っているわけですから。

そのようにして演奏される音楽には、演奏者の顔が見えません。

まるですりガラスの向こうで歌われているように、演奏者の思いが伝わってこないのです。

そうして演奏された音楽は、一見すると箱庭のように、キレイで、上品な演奏に聞こえるかもしれませんが、それ以上に心に訴えかけてくる何かが欠如しています。

ただハーモニーがキレイ、リズムがそろっている、その程度なのです。

 

おっかなびっくり、枠の中からはみ出ないようにして作られた音楽。

人の感情を抑えた音楽が、どうして人を感動させることができるのでしょうか。

 

自分のやるべきこと

ということで、今後の自分の方針が決まりました。

作曲家の思い

指揮者の思い

演奏者の思い

聴き手の思い

これら全てが絡み合い、まるでかけ算によって数字が何倍にも膨れ上がる、
そんな音楽を目指したいと思います。

 

今回の記事では、「感動」とか「心を動かす」とか、そういう言葉を多用したので、
「それこそ薄っぺらいじゃん」と思う方ももちろんいると思います。

しかし、ぼくのいう「感動」というのがどのようなものかを知ってもらうには、実際に演奏を聴いてもらうか、一緒に演奏するかしないと、本当の意味でわかってもらうのは不可能だと考えています。

「感動が~」とかそういった議論をしても不毛なものになるのは目に見えていますので、その点はどうぞスルーでお願いします。

 

 

なんだか、方向性の定まっていない文章になってしまいましたが、
今の自分の思いの丈を述べさせていただきました。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。