MANABLOG

会社を退職して独立への道を進んでいる25歳。趣味は合唱と指揮と20世紀前後のオペラ歌手鑑賞。

感動する音楽と感動しない音楽、卒業式は何故感動するのかなど

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感動する音楽と感動しない音楽、
その差はどこから生まれてくるのでしょうか。

 

それは、「音楽の抽象度」によって決まります。

 

「音楽の抽象度」とは、
分かりやすく言いかえると「音楽の情報量」。

 

抽象度が高いというのは、すなわち情報量の多さを表し、
一方で抽象度が低いというのは、情報量の少なさを表します。

 

1つの音、1つのフレーズを取りだしたときに、
そこにどれだけの情報量が込められているか

 

この抽象度により、音楽に違いが生まれます。

 

演奏側に求められる抽象度

演奏する側には、高い抽象度が求められます。

 

例えば、クレッシェンドで考えてみましょう。

(クレッシェンドとは、”<”の記号で、だんだん大きくというような意)

 

抽象度の低い演奏では、クレッシェンドは
ただ「だんだんと音が大きくなって」いきます。

 

抽象度のやや上がった演奏では、
音を「どのように大きくしていくか」が見えてきます。

 

一次関数(y = ax)のように、均等に大きくなっていくのか、
指数関数のように、あるポイントを過ぎると急激に大きくなっていくのか、
などです。

 

抽象度が更に上がった演奏では、
「どのように」に加え「その裏にある情景」が描き出されます。

 

例えば、
最愛の人を失ったことで、
悲しみが溢れかえってくるようなクレッシェンドだったり。

はたまた、
地平線の彼方まで続く、
大地の雄大さを表現したクレッシェンドだったりします。

 

 

このように、クレッシェンド1つとっても、
そこにどれだけの情報量が込められているか、によって
音楽の質が変わってくるのです。

 

指揮者によって曲が変わる、と言われますが、
その違いの一つは「抽象度の高め方」にあります。

 

聴衆側にも求められる抽象度

演奏側だけでなく、
聴衆側にも抽象度は求められます。

 

といっても、聴衆側に求められるのは、
抽象度を感じ取れるかどうか、
すなわち「感性の高さ」です。

 

この「抽象度を感じ取る力」が低ければ、
演奏側がどんなに抽象度の高い演奏をしても、
その情報量を十分に受け取る事はできません。
(もちろん0ってことはないですが、1/10とかかもしれません。)

 

 

先ほどのクレッシェンドの例を再び。

例えば、聴衆の感性が低い場合、
クレッシェンドは「ただ音が大きくなっていく」ようにしか聴こえません。

 

やや感性が高い場合、
音の「どのように大きくなっていくか」に気づく事ができます。

 

更に感性が高い場合、
その裏にある情景や感情、
もっといえば感触や温度を感じる事ができます。

 

抽象度・感性の高め方

手っ取り早い方法は、
古来より、名作と呼ばれる作品に触れることです。
音楽に限らず、美術、映画、書道なんでも。

 

良いものに触れ、見て、聴いて、
その作品が何を表そうとしているのか、
作者は何を表現しようとしたのか、
を考える事によって、少しずつ感性は開かれていきます。

 

あるいは、
フランダースの犬なんかを見て、
目いっぱい泣く、というのも一つの手だと思います。

感性の経路を無理やりこじ開けるのです。

 

ちなみに、ぼくは
フランダースの犬も、あらいぐまラスカルも見ません。
大泣きする事が分かっているからです(笑)

 

まとめ

感動する音楽を作るためには、
演奏者側に、高い抽象度が求められます。

そして、音楽で感動するためには、
聴衆側に、抽象度を感じ取る「感性」が求められます。

 

演奏者と聴衆、双方の抽象度が均等になって初めて、
会場中が感動するような音楽が生まれるわけです。

 

 

これは何も難しい事ではありません。

 

卒業式を思い出してみてください。
旅立ちの日に」や「仰げば尊し」なんかを歌いませんでしたか?

 

その時、自分の同級生や、参列した親御さん、
お世話になった先生方はどんな気持ちだったでしょうか。
きっと感動していたはずです。

 

卒業生は、それまでの思いを歌に込めます。
込める気がなくったって、「今日で最後かぁ…」って思えば、
自然と込もってしまうものです。

 

親御さんや先生方は、それまでの思い出を浮かべます。
他愛もないやり取りや、叱った事、一緒に笑った事。


卒業生の歌声から、
色々な気持ちを受け取ってしまうのです。

 

このように、同じ思い出を共有することで、
歌う側と聴く側の抽象度が近づき、
卒業式というのは、あんなにも感動的な式になるのです。

 

 

はい、ということで、
音楽の「感動」ということについてお話ししました。

 

随所に「音楽」と書きましたが、
これは芸術全般に言える事なんじゃないかな?
と考えております。

 

それでは、最後までお付き合いいただき有難うございました~。