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MANABLOG

会社を退職して独立への道を進んでいる25歳。趣味は合唱と指揮と20世紀前後のオペラ歌手鑑賞。

死の悲しみを乗り越える力

頭の中のコト

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最近、身近に死を感じました。

 

自分が死にそうになった、とかそういうのではなく、

身近に死があったのです。

 

 

これまでの儀式

ぼくはこれまで、死者を弔う儀式っていうのは、

死者の冥福を祈って行うものだと思っていました。

 

死んだ人のために行うものだと思っていたんです。

 

死んだ人が、あの世に行っても元気に過ごせるように、とか

穏やかにあの世に行けるように、とか

現世に心残りをすることなく行けるように、とか。

 

死んだ人が迷いなくあの世に行けるようにしてあげること、

それが死者を弔う儀式の意味だと思っていたんです。

 

 

弔いの儀式のもう一つの意味

しかし、その考えは大きく変わったんです。

 

どういう風に変わったか。

 

それは、

弔いの儀式は、残された者の心に整理をつけるための儀式でもある

ということです。

 

自身の経験から考える:儀式とは一つの区切り

今回、ぼくの身近に起きた「死」というのは、

愛鳥の死のことです。

 

我が家にきて8年ちょっと。

 

名前は「ぴー」。

 

性別は恐らくメス。

 

喜ぶと嬉しそうな声で鳴き、

怒ると頭の毛をカッと逆立て、

頭をなでると「ぴ、ぴ」とかわいい声を出していました。

 

ぼくたちがご飯を食べれば、

一緒になって自分もご飯を食べ始め、

ぶどうやオレンジなど、ぴーの好物をぼくらが食べていれば、

迷わず飛んできて肩に止まるのです。

 

トリとヒト、種族は違えど

彼女はまさにぼくら家族の一員でした。

 

 

が、そんなぴーも寿命だったようで、

8月の頭に寿命で逝ってしまったわけです。

 

最期は、母の膝の上でパタリ・・・と息絶えていったそうです。

 

 

 

かなり泣きました。

 

もう、向こう3年分くらい涙を流したんじゃないかってくらい。

 

 

ひょっこり返事でもしてくれるんじゃないか?なんて期待を持ちながら、

何度もぴーの名前を呼んでは、その亡骸をなでてみたんですが、

力なくクタッと脱力し、だんだんと冷たくなっていくピーの身体からは、

死の現実が伝わってくるだけでした。

 

 

その日の夜は、

ぴーのために小さな仏壇を作ってあげました。

 

ぴーの身体は、

ちょうどいい大きさの箱に脱脂綿をつめ、

そこに横たわらせてあげました。

 

夏で暑かったという事もあって、

となりに保冷剤をいくつか添えてあげて。

 

日付を超えるまでお線香をあげ続け、

ぴーとの思い出をひたすら振り返りながらのお通夜でした。

 

 

そして次の日、ぴーを埋葬してあげたのです。

 

埋葬場所は、家のすぐ前の庭。

 

猫が掘り返さないように、

60~70cmの深さの穴を掘り、

そこにぴーを箱ごと埋葬してあげました。

 

箱の中には、

ピーの大好きだったブルーベリー、オレンジ、

ぼくら家族とぴーが一緒に写った写真、

読めるかわからないけど書いてみた手紙を詰めてあげたんです。

 

箱のふたを閉める前には、

全員がぴーを握って、お別れの挨拶をしました。

 

 

「今までありがとう、おやすみ。」と。

 

 

穴を埋めたのは、ぼくと弟たち。

 

三人でわんわん泣きながら、穴に土を掛けていきました。

 

 

その翌日、

ぴーを埋葬したところに父と母が花を植えました。

 

いくつか苗を買ってきて、

周りを煉瓦で囲って、小さな花壇を作ったのです。

 

ぴーのお墓が完成しました。

 

 

その翌日には、

ぴーのためのちゃんとした仏壇が完成しました。

 

うちのご先祖様のところに一緒にすることは違うという事で、

写真を飾り、お線香をあげるスペースを作り、

ぴー専用の仏壇を作ったのです。

 

死から立ち直り、前を向いて生きること

ぴーが逝ってしまってから、かれこれ1週間がたちました。

 

若干の寂寥感はぬぐえませんが、

現在は割とさわやかな気持ちでいられます。

 

それは、

ぴーのためにできる限りのことをしてあげた、

という意識を自分が感じられているからだと思っています。

 

 

ぴーが死んでしまったその日に、

もうこれでもかってくらい泣きました。

 

お線香を切らさないようにあげ続け、

ずーっとぴーのことを考えていました。

 

 

次の日、あの子が幸せにあの世に行けるようにと、

きちんと埋葬し、お墓を作ってあげました。

 

 

そして、いつまでも心の中で生き続けられるように、

仏壇をつくり、毎日お線香をあげています。

 

 

このように、

もう死んでしまったぴーのためにできること、を全力でやった結果、

今現在、寂寥感は残りつつも、さわやかな感じでいられるのではと考えています。

 

ぼくらのやったことが、

本当に死んだぴーのためになっているか、なんてことは一生分かりっこない事ですが、

自分の中でそう思えるだけで、残された人は前を向いて生きていけます。

 

死んでしまった者のことを考え、

今できる最大限の事をしてあげる、

死に対して前向きに行動してあげる、

 

これが死の悲しみを乗り越えるための原動力であり、

一番の方法なんじゃないでしょうか。